収用の登記はなぜ単独でできるのか ── 「起業者」は起業家ではない
- 公開
- 2026年10月10日
- 法令・制度の確認
- 2026年10月10日 時点
登記事項証明書の甲区に「収用」を原因とする所有権移転や、「裁決手続開始」の登記が入っていることがあります。権利の登記は共同申請が原則ですが、収用による移転は「起業者」が単独で申請できます。この「起業者」を一般の言葉の「起業」で読むと、条文の意味がつかめなくなります。
共同申請の原則と、118条の例外
権利に関する登記の申請は、法令に別段の定めがある場合を除き、登記権利者と登記義務者が共同してしなければなりません(不動産登記法60条)。売買であれば、買主と売主がそろって申請します。この原則は一般に、登記によって不利益を受ける側が自ら申請に加わることで、登記の内容が本当であることを担保する仕組みと説明されます。
収用はこの「別段の定め」に当たります。不動産登記法118条1項はこう定めています。
不動産の収用による所有権の移転の登記は、第六十条の規定にかかわらず、起業者が単独で申請することができる。
同じ条の2項は、国または地方公共団体が起業者であるときは官庁または公署が登記所に嘱託する、と定めています。所有権以外の権利を収用して消滅させる場合の登記にも、1項と2項が準用されます(同条3項)。
単独でよい理由 ── 権利は契約ではなく裁決で動く
売買では、所有権は売主と買主の合意によって移ります。合意があったことを登記でも確かめるために、売主が登記義務者として申請に加わります。収用はここが違います。
収用委員会の権利取得裁決は、「権利を取得し、又は消滅させる時期」を定めます(土地収用法48条1項3号)。そして土地を収用するときは、その権利取得の時期に、起業者が土地の所有権を取得し、その土地に関するほかの権利は消滅します(同法101条1項)。所有権を移すのは前の所有者の意思ではなく、公の手続である裁決です。
登記義務者の関与で担保しようとしていた「本当に権利が移ったか」は、裁決という公の判断がすでに担っています。加えて、収用は合意がまとまらないときに使われる手続ですから、前の所有者に申請への協力を求めても得られないのが通常です。単独申請は、この二つの事情から説明できます。
起業者と土地所有者・関係人の全員の間で協議が成立し、収用委員会がその協議を確認した場合も、権利取得裁決と明渡裁決が同時にあったものとみなされます(同法116条・121条)。
「起業者」は起業家ではない
「起業者」と聞くと、会社を興した人、創業者を思い浮かべがちです。そう読むと「なぜ会社を興した人が、他人の土地の登記を単独で申請できるのか」という疑問に行き当たり、118条の意味がつながりません。
土地収用法8条1項は、起業者を次のように定義しています。
この法律において「起業者」とは、土地、第五条に掲げる権利若しくは第六条に掲げる立木、建物その他土地に定着する物件を収用し、若しくは使用し、又は前条に規定する土石砂れきを収用することを必要とする第三条各号の一に規定する事業を行う者をいう。
「起業」は、ここでは事業を起こすこと、つまり道路や河川、鉄道といった公共の利益となる事業を施行することを指します。起業者とは、その事業を行うために土地を収用する側の者です。さらに、収用しようとする起業者は事業の認定を受けなければならず(同法16条)、認定の要件には、起業者が事業を遂行する十分な意思と能力を持つこと、土地を収用する公益上の必要があることが含まれます(同法20条)。
ただし、民間企業が起業者になることはある
ここで「起業者は国や自治体のことで、民間企業ではない」と覚え直すと、今度は別の読み違いになります。収用できる事業を挙げた土地収用法3条には、次のような事業が並んでいます。
| 土地収用法3条 | 事業 |
|---|---|
| 1号 | 道路法による道路など |
| 2号 | 河川、堤防、ダムなど |
| 7号 | 鉄道事業法による鉄道事業者・索道事業者が、一般の需要に応ずる事業の用に供する施設 |
| 15号の2 | 電気通信事業法の認定電気通信事業者が、認定電気通信事業の用に供する施設 |
| 17号 | 電気事業法による一般送配電事業・発電事業などの用に供する電気工作物 |
| 17号の2 | ガス事業法によるガス工作物 |
鉄道や電気、ガス、通信の事業は、株式会社が担っていることが少なくありません。そうした会社が3条の事業を行い、事業の認定を受ければ、起業者として収用を申し立てる側に立ちます。不動産登記法118条2項が「国又は地方公共団体が起業者であるときは」と書き分けているのも、国や自治体以外の起業者がいることを前提にしているからです。
起業者かどうかを分けるのは、民間か公かではなく、3条に挙げられた事業を行い、事業の認定を受けた者かどうかです。
登記記録で確かめるところ
「収用」と「売買」を分けて読む
公共事業のための用地取得が、すべて収用によるわけではありません。国や地方公共団体が売買で土地を取得した場合は、官庁または公署が登記義務者の承諾を得て嘱託します(不動産登記法116条1項)。名義人が国や自治体でも、登記原因が「売買」であれば収用ではありません。反対に、名義人が鉄道会社や電力会社で登記原因が「収用」であれば、その会社が起業者だったことになります。登記原因と名義人は、組み合わせで読みます。
「裁決手続開始」の登記が入っている土地
収用委員会が裁決手続の開始を決定すると、その土地と土地に関する権利について、裁決手続開始の登記が嘱託されます(土地収用法45条の2)。この登記の後に権利を承継した者は、その承継を起業者に対抗することができません(同法45条の3第1項。相続人その他の一般承継人などは除かれます)。
この登記がある土地を取引の対象にすると、買主が取得した権利が、後の裁決で起業者に対抗できないものになるおそれがあります。収用による所有権移転の登記がされると、裁決手続開始の登記は登記官の職権で抹消されます(不動産登記法118条6項)。抹消されていない間は、手続が進行中であることを示す登記として読みます。
記録を拾う工程と、判断する工程
甲区の登記原因と名義人、裁決手続開始の登記の有無を拾い、どの条文の手続として整理されるかを並べるところまでは、説明と記名の手前で切り出せます。その土地を取引の対象にしてよいか、相手方にどう説明するかの判断は、依頼元の宅地建物取引士に残ります。記録を拾う工程と、判断する工程は、分けて置くことができます。
確かめられたこと・確かめていないこと
- 確かめたこと ── 上に引いた不動産登記法・土地収用法の条文は、この記事の確認日時点の現行条文を e-Gov 法令検索で確認しました。
- 確かめていないこと ── 収用による登記の申請に添付する情報(不動産登記令の定め)と、収用を原始取得と見るか承継取得と見るかの議論には、この記事では触れていません。個別の土地で手続がどこまで進んでいるかは、登記記録と起業者・収用委員会への確認を経なければ決まりません。
- この記事は一般的な条文の関係を整理したもので、個別の事案についての判断ではありません。実際の取扱いは、登記記録と事情に即して、依頼元の宅地建物取引士および専門の士業のご判断によります。
参照した一次情報
- 不動産登記法 第60条・第116条・第118条(e-Gov法令検索)
- 土地収用法 第3条・第8条・第16条・第20条・第45条の2・第45条の3・第48条・第101条・第116条・第121条(e-Gov法令検索)
上の確認日は、この記事を書いた時点で制度・様式を確かめた日です。 以後の改正までは追い切れていない場合があります。実務でお使いの際は、 必ず出典元の最新版をご確認ください。